招かれざる客 カネコアヤノの世界
カネコアヤノの曲を聴いた。
胃が痛い。
本当の意味でキラキラした文化系の女の子ど真ん中みたいな曲を聴く俺が悪いのは百も承知だが、たまたま開いた動画で、偶然エンカウントしてしまった。
今まで1曲も聴いたことがないアーティストについてあれこれ語るのはかなり異常だがそこは勘弁してもらいたい。むしろその辺の論評や素直な感想は別の人間がしゃぶり尽くしているはずなので。
ちなみに想像上のカネコアヤノと実在のカネコアヤノは、ほぼ寸分なく一致していた(音楽の話ね)
こういうことを歌っていそうという独断と偏見が、形になって突然現れたのである。
今まで俺は確実にカネコアヤノの曲を避けていた。あのビジュアルから逆算されるファン層にも何か構えてしまう部分があったのは確かだし、単にカネコアヤノから繰り出される生々しい歌詞を聴きたくないという弱さ、情けなさ故だったかもしれない。
嫌いだから聴かないのではない、むしろ逆だ。
好きだから苦しくなるのである。好きと嫌いは端っこで繋がっている。
まず見た目が可愛い。服装や雰囲気もかなり好きだ。そしてふんわりした雰囲気を纏いながら、腹にナイフを隠しもっていそうな危うさや毒気もいい。
そして、かなり文化的だ。かなり阿呆っぽいことを言うが、文化的な女性が魅力的なのは言うまでもない。
ここからが本題になるが、端的に言うと俺はお呼びじゃないのである。自分で言っていて悲しくなるが、どう考えても深い部分で彼女の歌を理解出来ない。これはもう生まれた星が違うというレベルで遠い。それが歯がゆい、居たたまれない。
どれだけ身綺麗にしてもお洒落なカフェは居心地が悪いと感じてしまうのと似ているかもしれない(これとは違う気もするが、分かりやすい喩えだったので)。
あらかじめ断っておくが、俺が聴いた「明け方」という曲は最高だった。胸が苦しくなる、切ない気持ちになる、そしておこがましいが、俺も似たような感情を過去に抱いたことがあるんだと思う。だが届かない、やっぱり自分には表面的な理解でしかない気がしてならない。俺の気持ちが曲の上でずっと上滑りしている。
これに気づくと地獄だ。恋焦がれ、眠れない夜を過ごしている女の子を、浅い理解でもって、「分かるよ〜」と覗き見してるような後暗い気持ちになってしまうのだ。
が、違和感なくすんなり彼女の歌が入ってきて、頭の先から足さきまで「分かる〜!」となる人間もいる。その人たちのための、と言っては排他的だが概ねそういうものだと思う、音楽に限らず。
実は作品の側が人を選んでいるのでは?と思うことが多々ある。
男女の違い、見えないカースト、世代間の差、ありとあらゆる障壁が俺とカネコアヤノの間にあり、それが故に今日の今日まで彼女の曲を聴くことがなかったのだ。
ちなみにいつもこんなことをごちゃごちゃ考えるわけじゃない。光るものに出会ってしまうと人は臆病にならざるを得ないのかもしれない。
たまたま聴いた曲↓。