みいちゃんと山田さんは人間賛歌だ。
ただの趣味が悪いだけの漫画では決してない。
この作品はみいちゃんと山田さんの、その関係性が全てだ。
その他一切が霞むくらい2人の中には何か言いようのない人間的な結びつきがある。
作中、不運によって関係が拗れた時、みいちゃんは山田さんの液タブを破壊し、山田さんはみいちゃんの顔面に拳を叩きこむ。
愛に姿形があれば異形のそれだと誰かが言ってたけど、まさにそうだと思う。
他者に理解出来るわけがないのだから。
勿論ココロちゃんはそれに気づけない。
他人を出し抜いて上手くやってると思ってるココロちゃんは、山田さんとみいちゃんが傷の舐め合い程度につるんでると一瞥する。
この場合本当に悲しい人間はどっちだろう?
ココロちゃんを目指すべきロールモデルとして描いてるわけがない、多分。
ココロちゃんの知らない、無意味で愚かだと切り捨てた2人には束の間の幸せな時間があった。
みい山コンビが花火大会に行く話、すごく美しくて好きだ。
みいちゃんが山田さんのために料理を作ったり洗濯をするところも。
ズボラなみいちゃんが山田さんとの思い出グッズを大切に持ってるのも好き。
それすら死ぬ前の前フリ、或いは悪意を中和する清涼剤に見えるかもしれないが、人生なんて全部前フリだと気づくべきだ。
そもそもこの世界は寸善尺魔でかなり悪趣味なのだから。社会構造以前の話で手の施しようがない。
抵抗できない渦の中でお互いの手を強く握り、突き放し、激しく発光する2人が好きだ。
という事を踏まえた上で社会的な意義みたいなものを提起するべきだと思う。アニメ化の賛否についても同様。
全て社会問題という文脈で語られ、評価されるのは乱暴すぎる。
どうしようもなく、どうしようもない2人の一瞬の輝きを見逃してはいけない。