セブンティーンは眠らない リターンズ

過去、現在、未来は同時に存在する。

笑えないセールスマン ~俺は時間を売る男~

おばんです。

久しぶりのブログ更新です。

面接→内定→研修スタートと色々バタバタしていました。ここ最近、ほぼ毎朝早く起きて家を出るということがなかったので、ちょっと疲労困憊しています。

春めいてきたとは言え、朝は布団から出るのが億劫なくらいには冷えます。なのでなんとか自分を鼓舞して研修を無事終了しました。

これから本格的に仕事がスタートするんですが、気が重いです。上手くやれるのか、俺は何か変なことをしでかさないか、そんな不安で頭がパンクしそうです。

 

10カウントが鳴る前に ~令和最新版弱者男性~

未だにこの世界で猛威を奮っている、ただしイケメンに限る論について真っ向から戦いを挑みたいと思います。よろしくお願いいたします。

誤解がないようにしたいのですが、私の話にはなんの根拠もありません、よって理論武装はしません。ステゴロです。

以上を踏まえた上でご覧下さい。

 

「バスケ部の○○先輩ってかっこいいよね」

「わかる!超かっこいい」

 

「○○くん超イケメンだよね」

「わかる、普通に付き合いたい」

 

腐るほど聞いた学校での会話。寝たフリをして聞き耳を立てていた俺。真っ白な頭に響く予鈴のチャイム。黒板に並ぶ無意味な記号の羅列。窓の向こうには何処へも行けない閉鎖的な田舎町。

 

「○○くんイケメン」、この言葉で勝手に傷ついていた思春期の男は一体どれくらいいたのでしょうか。

そしてその記憶を飼い慣らしたまま大人になってしまった男はどれほどいるでしょうか。

決して少ないとは言えない数字なのではないでしょうか????

恋愛は数限られた人間のみに与えられたもので、自分にはその資格がないと暗い穴蔵に閉じこもり、トラウマが作り出した「オンナ」という自分の頭の中にしか存在しない幻に向かって恨み言を吐き出すクリーチャーになってはいませんか。

恥を忍んで言うと、自分がそうでした。

10代前半から20代前半は、特に末期的な症状を抱えていたと思います。というか今もその呪いが消えていないように思います。

油断すると狼男よろしく、オンナを呪うクリーチャーに変身してしまいます。

 

やめましょう。こういうのはもうやめにしましょう。もう終わりにしませんか。

 

そうは言っても、「事実は事実だろ、綺麗事をほざくのはやめろ!」と石を投げる諸君。やめなさい。

 

今すぐその手を止めなさい!

 

無限の愛を信じ、希望を掴み、いつか誰かを支えるはずのその手で私を攻撃しないでいただきたい!

 

ありがとう。だからもう少しだけ耳を傾けて欲しい。

話を戻します。

繰り返し聞かされ、スピードラーニングしていた「○○くんイケメンだよね」というあの言葉。

何かがおかしくないか?と今になって思うんです。

心のコナンが「あれれ〜?」とネクストコナンズヒントを与えてくるんです。

以下、詳しく解説します。

まず女性は男性に比べ圧倒的に社交性があります。これは争う余地はないでしょう。

皮肉の意味はないですが、「表面的なコミュニケーション」が非常に長けてます。

つまり「○○くんはイケメン」というのは挨拶、儀式のようなものであり、単なる言葉以上の何かを宿したものではないんじゃないかと言うことです。

一体感や仲間意識を高めるため、或いは相互コミュニケーションのために使われるツールでしかないんじゃないかと言うことです。

和を以て貴しと為す。

こんなの聞こえはいいですが、和に必要なものは都合の良い嘘でしょう?ここぞという時に、世を渡っていくための仮面は大きな苦痛になりませんか?

そもそも女性に限らず誰かに聞こえるような空間で自分の腹の中を見せる人間がいますか?ガチガチに施錠して心の奥底に閉まっているはずでは?

本当の本当に気になっている意中の存在を軽々しく口にするようなことはないと思うんですよ。

そりゃイケメンが嫌いってことはないでしょうけど。その場合も寿司や焼肉が好きって話と何ら変わらないはずです。本当の特別な何かではないでしょう。

その結果女性からすれば、本当の私を誰も分かってくれないじゃない!と、こうなるわけです。

ミッションインポッシブルのように、幾重にもなる頑丈な心のセキュリティを突破して、本当の私を見つけて!とふざけたことを考えていませんか?

まさかそういう存在を白馬の王子様と呼んでませんか。

残念ながら閉じられた門を目にしただけで踵を返す人が大半でしょう。

そしてすれ違い続けた男と女の成れの果てはもう語る必要もないと思います。

 

だからこそ、何も男女の深い仲にならなくても、寂しさや苦しさをほんの少しでも理解し合える関係ぐらいにはなれたんじゃないか?と

あの日何かに絶望し諦めた自分に言ってあげたいんです。

 

 

何がために来る春か

おばんです。

また寒波が来るそうで、ひんやりした空気のせいか頭がガンガンしてとても痛いです( ⌯᷄௰⌯᷅ )

体調が優れないせいもあってか、最近眠る前にあれこれ考える悪癖が再発してしまいました。

そういう時は文章を書くと比較的落ち着きます。

言葉を吐き出すという行為には何か不思議な力があるのかもしれません。

あれこれ頭を動かしていても、一本道を歩いてる様な軽快さが生まれてきます。

そんなわけで難しい問題を1つ用意しました。

 

「さよならだけが人生だ」

 

井伏鱒二という作家が訳した漢詩のフレーズです。

もしかして人生は失う一方なんじゃないの?と、丁度タイミング良くひねくれていた自分にはなかなかクリーンヒットした言葉だったりします。

寺山修司は、井伏の訳を受けて、

 

「さよならだけが人生ならば、また来る春はなんだろう」

 

という詩を書いています。

両者ともに言いたいことはよく分かります。井伏節だとあまりに悲観的すぎじゃねーの?と。

出会いは別れの始まり、そう考えるとこんな寂しいことはないですからね。しかし、だからこそ輝くものがあるんじゃないかという気持ちもあります。

煮ても焼いても食えないような話ですみません。

 

昔、似たようなテーマを扱った映画を観たので紹介したいと思います。

レナードの朝」という作品です。

ずっと植物状態だった男が、奇跡的に意識を取り戻すという話です。

観た後は、やり場のない気持ちで胸が張り裂けそうになると思います。

 

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無職通信 お便りコーナー 「幸せの青い鳥を探して」

コメントいただき感謝です😌

 

リクエストしていただいた「やる気が出ない時の感情、その対処法」について少し考えてみました。

 

巷では、やたらと温泉に入らそうとしたり、プチ豪華な食事、適度な運動を勧めてきますよね。

 

わかります( ˇωˇ )

 

この意見は多分正しいんです。

でも、正しいことなんか言われなくても分かってんのよ!

と、ドラマ「白夜行」に出ていた綾瀬はるか山田孝之にブチ切れていました。

この気持ちも痛いほどわかります。


話が脱線しましたが、自分なりに考えてみました。⤵︎⤵︎

 


「1回何もかも諦める」

 


大抵、やることが山積みだけど何から手をつけていいか分からない。その途方のなさに脱力してしまうんだと思います。

頭は忙しいのに、身体は地蔵状態で、これはあまり好ましくないですね。

そこで頭と身体を一致させるために、【仮】なんもしない人になります。

 

すると段々欲が出てきて、「まあこれくらいはやってもいいか…w」

という気分になってきます、これは本当にそうなってきます、不思議と。

散歩とか風呂掃除とかどんな小さなことでもいいです。

そうすると小さな志に小さなアクションで頭と身体に矛盾がないですね。このねじれが無い状態が理想です。

まず、その小さな小さな流れに乗るための1歩目として、オールリセットはありなのではないかなと思っています。

 

頑張りすぎないというのはさじ加減が難しいので、とりあえず何もかもを諦める。

その後必要なもの、必要なことをまた見つけていくという流れが自分なりの対処法になります。

 

これくらいならできるかな?とか、これをやってみたいなとか。

勿論リセットした結果、やっぱり元のレールに戻るというのも全然ありだと思います。

これは自暴自棄のススメではなく、あくまで疑似的に「全てを諦めた人」になるのがポイントです。

これなら大切なものを失わずに済みます。

 

 

生意気言いましたが、自分の場合、大切なものは失って気づくタイプの馬鹿野郎です。

 

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無職通信 1月号 「禍福は糾える縄の如し」

あけましておめでとうございます。

 

やってしまいました。

先日バリカンで襟足とその周辺をスッキリさせようとして、アタッチメントがついてる所とは逆サイドを使って刈り上げてしまい、見るも無惨な姿になってしまいました(′;ω;`)

 

実は去年、バリカンを購入し、床屋から解放された喜びで、2022年のベストバイはバリカンやなwと浮かれまくっていたのです。

正しく使えばQOL爆上がり間違いなしなのですが、少し油断していた為か、このようなミスを招く事態に。

写真を載せようか迷ったのですが、自主規制とさせていただきます!

いっそ坊主にしてもよかったのですが、冬の寒い時期なので伸びるまでやり過ごすことにしました。

そしてとある求人に応募していたのですが、流石に面接に行けるような状態ではありませんので、残念ですが辞退します。

正直悔しくてたまりません。

軽はずみだった自分を羨ましくなるほどに(Mr.Children しるし並感)。

 

無職通信では、みなさんからのトークテーマも随時募集しています。

「この件について話して欲しい」等あれば、コメント欄までお願いいたします。

 

 

それでもハッピーメリークリスマス

おばんです。

今年はあまり良い年だったとは言えません。

辛すぎる別れがあり、ずっと自暴自棄になっていました。

それでも今は自分を見つめ直すいいキッカケになったと思うようにしてます。感謝もしています(まだムカつくし悲しいけど)。

完全に傷が塞がったわけではないけど、そのことを言い訳に自分を甘やかすのにも正直ウンザリしていました。

転けたら立ち上がったらいいんです。きっとこの先、何回もこれを繰り返していくことになるけど、それでも自分を見捨てたくないです。

皆にとって今日が素晴らしい日になっていたことを祈ります。

 

冬に観たい映画特集

おばんです。

私の暮らす町では初雪を迎え、外は凍てつくような寒さ。暖房を消すと部屋の中でも息が白くなります。

そんな寒い季節にぴったりの映画をピックアップしてみました。

この森で、天使はバスを降りた

個人的にいわく付きの作品です。

とにかく釈然としないラスト。意図的にそうしているのか分かりかねる所もかなりモヤモヤしてしまいます。

簡単なあらすじを説明すると、謎に包まれた過去を抱えた主人公の女性。彼女は刑務所での服役を終え、第二の人生をスタートさせるため、とある田舎町で暮らすことにします。

ちなみに、「この森で-」というのは邦題で、オリジナルタイトルは「スピットファイアグリル」です。主人公が働くことになる田舎町のレストランの名前がタイトルになっています。

前科がある彼女は、閉鎖的な田舎町で周囲から好奇の目に晒されながらひたむきに頑張るんですが…。

 

なんかもう人生とかどうでもええわ、人間ってクソだし。という厭世的な気分になりたい方にはぴったりの映画です。

美しい音楽、美しい雄大な自然がコントラストになり、人間の業がより際立ちます。

衝撃のラストには、開いた口が塞がりません。

「いやいや、こえーよお前ら!」と叫びたくなること間違いなし。見方によってはかなり良質なホラー映画なのでは?と感じる作品。

この冬、さらに背筋を凍らせたい方、必見です。

 

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配給側は、感動系?と銘打ってるのですが、ほんまかいなと言いたくなります。私は絶対許しません!

映画のタイトルは「ハイウェイトゥヘル」の方がしっくりきます。