何がために来る春か
おばんです。
また寒波が来るそうで、ひんやりした空気のせいか頭がガンガンしてとても痛いです( ⌯᷄௰⌯᷅ )
体調が優れないせいもあってか、最近眠る前にあれこれ考える悪癖が再発してしまいました。
そういう時は文章を書くと比較的落ち着きます。
言葉を吐き出すという行為には何か不思議な力があるのかもしれません。
あれこれ頭を動かしていても、一本道を歩いてる様な軽快さが生まれてきます。
そんなわけで難しい問題を1つ用意しました。
「さよならだけが人生だ」
もしかして人生は失う一方なんじゃないの?と、丁度タイミング良くひねくれていた自分にはなかなかクリーンヒットした言葉だったりします。
寺山修司は、井伏の訳を受けて、
「さよならだけが人生ならば、また来る春はなんだろう」
という詩を書いています。
両者ともに言いたいことはよく分かります。井伏節だとあまりに悲観的すぎじゃねーの?と。
出会いは別れの始まり、そう考えるとこんな寂しいことはないですからね。しかし、だからこそ輝くものがあるんじゃないかという気持ちもあります。
煮ても焼いても食えないような話ですみません。
昔、似たようなテーマを扱った映画を観たので紹介したいと思います。
「レナードの朝」という作品です。
ずっと植物状態だった男が、奇跡的に意識を取り戻すという話です。
観た後は、やり場のない気持ちで胸が張り裂けそうになると思います。